御祭神は菅原道真公です。道真公(849~903)は平安前期の律令官人・文人・学者で、ときの左大臣藤原時平の中傷により大宰府に左遷されました。
ところが、道真公が没してから都に落雷・地震・洪水などが起こり、さらに藤原一族の変死がかさなったため、道真公の怨霊によるものとし、鎮魂のため社を造営しました。
学問・詩文の神でありますが、実は農業にも関連し、天神・火雷天神ともよばれます。
狩留家のような田舎に天満宮があるのは大変めずらしいですが、当地はかつて皇室直轄領の田門庄(たどのしょう)の狩倉(狩猟場)でありました。そのため都から稲置(いなぎ=皇室領の管理者)や狩使・狩者(武士)等の往来があり、これらの人達が京都北野天満宮や大阪天満宮のことを伝えたことによって、室町時代から創建されていたのではないかと言われています。